長久寺
基本データ
- 【建築年代】慶長15年(1610)
- 【位置づけ】庚申塔:市指定文化財
- 【所在地】白壁三丁目24番47号
- 【電話番号】052-931-6149
- 【駐車場】無
[解説]
長久寺は、尾張藩主松平忠吉の慶長15年(1610)の遷府により清須から現地に移された真言宗智山派の寺で旧尾洲。本堂前庭の将棋駒形の供養塔は庚申塔といい、碑面には青面金剛童子、天邪鬼、三猿が彫られ、市の指定文化財となっています。眷族の三匹猿は、いわゆる「見ざる」「聞かざる」「言わざる」でそれぞれ目、耳、口を両前肢で押さえていますが、これは悪いことを心にふれさせないようにとの意味を表わし、本尊の姿も悪事を打ち砕く武器を持ち悪者に向って恐ろしい顔で悪い鬼を踏まえて立っています。庚申を表す石塔は、関東地方などには大変多いのですが、西日本では少なく、名古屋市内でもいくつか残っていますが、その中でも最も表現が優れていると言われています。江戸初期の寛文八年の銘文があり、庚申信仰の伝わり方を示す貴重な資料として、昭和35年2月、名古屋市から市文化財に指定されました。庚申とは古代中国の暦などで、十干十二支の中の57番目に当たる「かのえざる」のこと。古代中国にある教えに、庚申の夜は寝ずに明かすと災難をよけて長命を得るということがあり、それが千年以上も前から我が国に伝わり、我が国古来の猿神と一つに考えられ、又仏教とも混じてきて、江戸時代からは青面金剛という力の強い仏様を本尊とするようになったのです。病気災難を避け長命富貴、殊に「かのえ」も「さる」も五行説によれば金性ですので、 金性が二つ重なることになって、利財金殖方面や金属工業製造並びに販売の金物商の方などに信仰をすすめています。貞奴は不動尊を信仰しており、二葉御殿の仏間に祀っていた不動尊を、名古屋を去るに当たり、長久寺に寄進しています。
アクセス
- 名鉄「尼ヶ坂」より徒歩5分/市バス「白壁」より徒歩5分