文化のみちへようこそ | 徳川園


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徳川園

基本データ
  • 【位置づけ】国登録文化財/                                 認定地域建造物資産(一部)
  • 【所在地】徳川町1001
  • 【電話番号】052-935-8988
  • 【入園料】大人300円 中学生以下は無料。その他各種減免があります。
  • 【開館時間】9:30〜17:30(入園は17:00まで)
  • 【閉館日】月曜日(祝日にあたる場合は、その翌日)年末年始
  • 【駐車場】市営徳川園駐車場(有料)/乗用車80台 (大型バス駐車可)
  • 【ホームページ】
    https://www.tokugawaen.aichi.jp/
  • 【ガイドボランティア】金・土・日曜日、祝日 (随時案内)                             (予約ガイドあり)  
[解説]

名古屋城本丸の東約3kmの地にある徳川園は、徳川御三家筆頭である尾張藩第二代藩主光友公が、元禄8年(1695)に自らの隠居所として大曽根屋敷を造営したことを起源としています。当時の敷地は約13万坪(約44ha)の広さで、庭園内の泉水には16艇立の舟を浮かべたと言われています。光友公の没後、この地は尾張藩家老職の成瀬、石河、渡邊三家に譲られましたが、明治22年(1889)からは尾張徳川家の邸宅となりました。昭和6年(1931)名古屋市は、第十九代当主義親氏から邸宅と庭園の寄付を受けた後、改修整備を行い、翌年「徳川園」として一般公開しましたが、第二次世界大戦の大空襲によってほとんどの建物や樹林などが焼失してしまいました。戦後、現代的な都市公園として改修し、市民に利用されてきた徳川園は、平成13年(2001)から日本庭園として再整備を行い、平成16年(2004)に開園しました。 徳川園は、矢田川の河岸段丘を生かした高低差のある地形、既存の照葉樹の森、立体的に迫る大きな岩組みが特徴で、変化に富んだ景観を劇的に展開する構成となっています。正面入り口の黒門は、明治33年(1900)に完成した尾張徳川家の邸宅の遺構で、総けやき造りの三間薬医門です。連続する脇長屋と塀を含めて、昭和20年(1945)の大空襲による焼失の被害を免れた数少ない遺産であり、武家屋敷の面影を伝える貴重な建造物群です。

アクセス
  • 市バス・名鉄バス「徳川園新出来」より徒歩3分
  • メーグル「徳川園・徳川美術館・蓬左文庫」よりすぐ
  • 地下鉄「大曽根」、「車道」より徒歩15分
その他写真
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