文化のみち二葉館 川上貞奴と福沢桃介のゆかりの場所


[ここから本文]

ゆかりの場所

二葉御殿跡地

基本データ
  • 【場所】白壁三丁目
  • 【年代】大正9年
  • 【建築・設計】あめりか屋
解説

川上貞奴は、夫音二郎の七回忌を済ませた後、名古屋大曽根の「川上絹布(株)」の女社長となり、大正9年(1920)二葉居を新築します。貞奴はここで、15歳の頃から旧知の仲であった電力王福沢桃介とともに暮らしていました。2000坪を超える敷地に建てられた屋敷は「二葉御殿」と呼ばれ、赤い屋根、緑の芝生、水を湛えた噴水があり、園遊会に招かれた客の中にはあまりの豪華さに思わず声をあげる人もいたそうです。



川上絹布工場跡

解説

川上貞奴が大正7年(1918)に、上飯田に作った絹布会社の跡です。

社内では15、6歳から20歳まで、40〜50人の女工が働いていました。作業は45分続き、15分休むというスタイル。女工たちはみな、紺のセーラー服に靴を履き、女学生のような格好で働いていました。昼休みの運動にはテニスをし、工場の中にはプールまであったそうです。また、全員が寮で生活をし、夜にはお茶、お花、和裁などの習い事、休日には演芸会などのリクリエーションを開いていました。厳しい労働と安い給料で酷使されていた当時の女工の待遇から考えると、夢のような生活を送ることのできる、まったく新しい会社だったのです。

川上絹布工場で作られた絹製品は品質が高く、フランスなど海外へ輸出されていました。

文化のみち二葉館【旧川上貞奴邸】の和室においてある座布団は、川上絹布工場で作られたものです。


成田山貞照寺

基本データ
  • 【所在地】岐阜県各務原市鵜沼宝積寺町5-189
  • 【電話】0583-84-0202
  • 【問合せ】大本山成田山名古屋別院大聖寺 0568-61-2583(代)
  • 【開堂日】日曜日・祝日 縁日(毎月1日・28日)
  • 【ホームページ】
    http://www.inuyama-naritasan.or.jp/teisyouji/teisyouji-mein
解説

貞照寺は、貞奴が昭和8年(1933)に建立した寺です。ここに貞奴は眠っています。
また貞奴縁起館があり、貞奴と桃介の貴重な資料や当時使っていた様々な遺品を見ることがでます。

貞奴の霊廟の前には観音像が、福沢桃介のつくった大井ダム(長野県)に向かって、ひっそりと立っています。

立派な仁王門と、様々な浮き彫りを楽しめ、現在でも「芸事成就」を願う芸能人などが参拝しています。

アクセス
  • JR/鵜沼駅 名鉄/新鵜沼駅よりタクシーで5.6分
  • バス/ふれあいバス東部線「貞照寺前」

福沢桃介記念館

基本データ
  • 【所在地】長野県木曽郡南木曽町読書
  • 【電話番号】0264-57-4166
  • 【開館日】3月中旬〜11月末 午前9時30分〜午後4時30分
  • 【休館日】毎週水曜日、冬期(12月1日〜3月中旬)
  • 【入館料】山の歴史館とセットで大人300円。中学生150円。小学生以下無料。
  • 【ホームページ】http://www.town.nagiso.nagano.jp/kankou/midokoro/nagiso/midokoro_43.html
    (南木曽町観光協会のホームページ内)
解説

電力王・福沢桃介が、大正8年(1919)に電源開発の木曽における基地として、この建物を建てました。ここに桃介は頻繁に貞奴を伴ってやって来たようです。この建物は、昭和35年4月6日の火災で2階部分を焼失し、平屋のまま、昭和60年から桃介記念館として一般公開してきましたが、平成9年度において、当初の2階建の姿に復元しました。

大正時代の貴重な西洋風別荘建築としても知られています。2人の写真や遺品、資料も展示しています。

また近くには桃介の作ったダムの建設のために架けられた「桃介橋」があります。
近代化遺産として、国の重要文化財に指定されている美しい橋です。

アクセス
  • JR 南木曾駅 下車 徒歩5-6分
  • 国道19号線 南木曾駅前から左折 三留野大橋渡って右側
その他写真

萩野変電所

解説

福沢桃介ゆかりの由緒正しい変電所。文明開化が名古屋にも浸透してきた明治20年(1887)、旧尾張藩士を中心に「名古屋電燈(株)」を設立。電燈事業が始まりました。その後、明治39年(1906)には、渋沢栄一を相談役に「名古屋電力(株)」が設立され、名古屋電燈の強力な競争相手となります。 このような時期に、福沢桃介は名古屋電燈の最大株主となり、明治43年(1910)には、会長に就任しました。そして翌1911年、八百津発電所とともに完成したのが、萩野変電所です。同年12月からは送電を開始。翌年の1月には、日本初の六万ボルトの高圧送電に成功するなど、この萩野変電所は、当時の最高技術が投入された変電所でした。 現在の北区内では、山田に大正4〜5年(1915〜6)、西志賀には大正6年(1917)頃から送電され、ランプから電灯へと移行する文明を支えました。その後、この潤沢な電力を求めて名古屋に立地する企業が増え、名古屋の工業化を支える原動力となったのです。

読書よみかき発電所

基本データ
解説

国指定重要文化財。大正12年12月完成。当時の最大出力は40,700w水路式発電所として建設されました。木曽郡内では最大の発電力を誇りました。鉄筋コンクリート造りでレンガ壁・陸屋根構造。半円形の窓や屋上に突き出した明かり窓など近代的なデザインが施されています。

[ここまで本文]

このページの先頭へ    トップページへ