文化のみち二葉館 二葉館の歴史


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二葉館の歴史

日本の女優第一号として名をはせた川上貞奴と電力王と言われた
福沢桃介が共に暮らした家です。
創建当時は、文化のみちエリアの北端、東二葉町にあり、
2000坪を超える敷地に建てられた和洋折衷の建物は、
その斬新さと豪華さから「二葉御殿」と呼ばれ、
政財界人や文化人の集まるサロンとなりました。

当時、慶応義塾の先輩である矢田績に招かれ、
「名古屋電燈(株)」の取締役に就任した桃介は、
木曽川での水力発電を進める為に名古屋に拠点を構え、
事業パートナーとして貞奴を呼び寄せたとも言われています。

設計は、当時新進気鋭の住宅専門会社「あめりか屋」に依頼し、
建物内部に驚くべき電気装備が施される一方、
貞奴の好みも至る所に取り入れられました。

当時の記録では、玉砂利の道を入っていくと、車寄せの前がロータリー。
松の木などが植えられ、芝生の庭にはしだれ桜やもみの木、電気仕掛けの噴水やサーチライトがあったようです。
円形に張り出したソファがある大広間では、ステンドグラスが柔らかい光を投げかけていたことでしょう。

ここで貞奴は、毎日やって来る大勢の客への茶菓や晩餐の手配に追われる傍ら、川上絹布の経営者としての仕事もこなしました。また、電車で3時間かかる木曽のダム建設現場へ出かける桃介に同行することもありました。それは、忙しくとも充実した暮らしであったと思われます。

その後、病気がちになった桃介は東京へ戻り、貞奴も「川上児童楽劇園」の指導のため、次第に拠点を東京へと移していきます。この名古屋時代の思い出は、二人の心の中に大切にしまわれていたに違いありません。

現在 橦木町の場所への移築復元工事が始められたのは、平成12年2月。
5年の歳月をかけて完成・開館した旧川上貞奴邸は、平成17年2月、文化のみち二葉館(名古屋市旧川上貞奴邸)としてよみがえり、国の文化財に登録されました。

大正9年の竣工直後の写真
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