文化のみちへ
ようこそ。Welcome to the Cultural Path
名古屋城から徳川園にかけての一帯を、
歴史的遺産の宝庫として「文化のみち」と名付けました。
このエリアには、その名にふさわしい名古屋の文化とその歴史を感じさせる様々な物語が残っており、もっと皆さんに親しみを持って、保存・活用をしていただきたいのです。
「文化のみち」の楽しみ方はいろいろあります。
建物の趣きやデザインを楽しむ。
「文化のみち」には江戸時代から明治・大正、そして昭和に至る印象深い建物がたくさん残されています。
そして、その建てられた年代によって微妙にクロスオーバーしている建物があります。
そういった風情のある建物をちょっと散歩しながら楽しんでください。
交差した人と人の出会いの物語を楽しむ。
日本の近代産業の担い手となった人たちが、この「文化のみち」のエリアで出会ったり、生活したり、会社を興したりしています。
もしその出会いがなかったら、日本の「今」は違っていたかもしれません。
そういった物語に想像を巡らすのも楽しみのひとつです。
「文化のみち」の公開活用を楽しむ。
「文化のみち」で開催されるイベントに参加して、歴史的な背景を知り、当時のムードに浸ります。
また、個展を開いたり、コンサートを行ったりと皆さんの発表の場にしていただくこともできます。
現存している風情のある建物を活かしたレストランで舌鼓を打つことも。
それは市民の皆さんの生活と暮らしの中で、貴重な文化財産を次の世代に伝えていくひとつの方法です。
文化のみちとは
名古屋城から徳川園にかけてこのエリア、江戸時代は中・下級武士の屋敷が連なっていました。
明治から昭和の初めにかけては、近代産業の担い手となる起業家、宗教家、ジャーナリストなど様々な人が去来し、交流する舞台となりました。
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大名文化と庶民の祭り
江戸時代、名古屋城の南に広がった商業地区に対して、 東に伸びた武家屋敷地区が「文化のみち」のルーツです。 名古屋城、徳川美術館、建中寺などが大名文化の 華やかさを伝えるほか、山車や祭囃子など庶民の祭りが 今も大切に守られています。
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明治の先端産業ゾーン
武家屋敷の広大な敷地があり、瀬戸へのアクセスも良かったことから輸出陶磁器産業が盛んになります。他にもマッチ、硝子、時計、バイオリンなどの工場もありました。豊田佐吉や大隈栄一が機械工業を興したのもこの頃です。
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大正ロマンの屋敷町
大正時代になると、この地区は企業家たちの屋敷町へと変わっていきます。発明王と言われた兄・佐吉を支えた豊田佐助の旧邸や陶磁器を輸出する貿易商として成功した春田鉄次郎の旧邸などが 今も残されており、歴史と文化の香りを漂わせています。