文化のみちへようこそ | 名古屋城


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名古屋城

基本データ
  • 【建築年代】慶長15年(1610)
  • 【位置づけ】国指定文化財(隅櫓・門、障壁画、二之丸庭園)/登録文化財(乃木倉庫)
  • 【所在地】中区本丸1番1号
  • 【電話番号】052-231-1700
  • 【観覧料】大人500円 ※中学生以下は無料。             その他各種減免あります。
  • 【開園時間】9:00〜16:30(本丸御殿16:00まで)
  • 【駐車場】正門前駐車場(有料)/普通車319台/    大型車28台、二之丸駐車場(有料)/普通車123台
  • 【休園日】12月29日〜31日、1月1日
  • 【ホームページ】
    https://www.nagoyajo.naka.nagoya.jp/   
  • 【ガイドボランティア】平日10:00、13:30                                                  土・日曜日、祝日9:30、11:00、                                 13:30                                              (予約ガイド・英語ガイドもあり)                 ※天守閣は現在閉館しています。  
[解説]

【名古屋城】慶長15年(1610)、徳川家康公が9子義直公に封土として尾張の地を与えるとして、清洲城下をそっくり移す大規模な都市計画が行われ、加藤清正、福島正則など西国の大名20名に命じて築城させたのが名古屋城です。

【天守閣】慶長17年(1612)竣工。昭和20年(1945)に戦災焼失の後、昭和34年(1959)に再建されました。

【本丸御殿】「武」の象徴・天守閣に対し御殿は「文」の象徴でした。元和元年(1615)に竣工、寛永11年(1634)将軍家光公の上洛に際して上洛殿などを増築しました。内部には部屋毎に華麗な障壁画(襖絵・杉戸絵・天井板絵など)が描かれ、さながら“建物が丸ごと美術館”のようだったといわれていました。昭和20年(1945)に戦災焼失しましたが、残された実測図等をもとに、平成21年(2009)より約10年の復元工事を経て、平成30年(2018)に完成公開を迎えました。

アクセス
  • 【正門】市バス「名古屋城正門前」すぐ 地下鉄「浅間町」より徒歩12分、メーグル「名古屋城」すぐ
  • 【東門】市バス「市役所」より徒歩5分 地下鉄「市役所」より徒歩5分

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【ロケ地】 ドラマ 『金の殿 バック・トゥ・ザ・NAGOYA』、『黄金鯱伝説グランスピアー』他

隅櫓、門

[解説]

西南隅櫓、東南隅櫓、西北隅櫓の3つの隅櫓が現存しています。西南隅櫓は、未申櫓とも言われ、屋根ニ層・内部三階の櫓。外部に面した西・南両画には 軍事用の「落狭間おとしはざま(石落し)」を張り出して破風を付け装飾的に扱っています。平素は書庫として利用していましたが、家康公が高原院(藩祖義直夫人)の嫁入り行列をこの櫓で遠見した故事にならって代々の藩主も登ったと伝えられています。 この櫓は大正10年(1921)に、風雨により石垣と共に崩壊しましたが、大正12年(1923)、宮内省の手で修理復元され、鬼瓦などに菊花紋が見られます。

東南隅櫓は創建当時のものです。辰巳櫓とも言われ、その規模、構造は西南隅櫓と同じですが、「落狭間」の破風の形を異にしています。西北隅櫓は、清須櫓とも戊亥櫓とも言われ、御深井丸の西北隅にあり、広い水堀にのぞんだ三層白塗籠・入母屋造りです。解体修理時に古材を多く用いられていることは確認されましたが清洲城のものかどうかは判りませんでした。一階の外部に面した北面・西面に出張りが作られ、床を「落狭間」にしています。他の櫓と違って内側(東面・南面)に千鳥破風を設け、姿が荘重で安定感に富んでいます。

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障壁画

[解説]

名古屋城本丸御殿は、当初、藩主の居館として建築され、後に将軍上洛の際の御成御殿に改修されました。内部は、狩野派の絵師により描かれた障壁画に彩られ、欄間らんまかざり金具など、わが国の建築美術・美術工芸の粋を集めた建築物でした。本丸御殿は昭和20年(1945)に戦災で焼失しましたが、障壁画のうち多くは事前に取り外されたためこれを免れ、襖絵・杉戸絵等349面、天井板絵700面の計1,049面が現存しています。

狩野派は安土城、大阪城、伏見城、江戸城など各地の主要城郭の障壁画を手掛け、桃山文化の象徴ともいうべき絵画群を生み出しましたが、今日、御殿障壁画としてまとまった形で伝えられているのは、名古屋城の他は二条城ニの丸御殿のみとなっています。

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二之丸庭園(名勝)

[解説]

 二之丸庭園は、歴代藩主が公私にわたって過ごした二之丸御殿の北側に造られた庭園です。面積は約3万uに及び、藩主が居住した御殿の庭園としては日本一の規模を誇ります。
 1620年(元和 6)頃、初代藩主・コ川義直が整備した庭園は、儒教の影響を色濃く映したものといわれており、その後、文政年間(1818-1830)十代藩主斉朝(なりとも)により、現在の東庭園まで区域が拡張され、茶屋を伴う庭園や園池(えんち)などが設けられました。この時期の庭園を描いた絵図として、『御城御庭絵図(おしろおにわえず)』(名古屋市蓬左文庫蔵)が残されています。
 明治期、名古屋城が陸軍省の所管になると、二之丸御殿とともに庭園も一部取払われてしまいましたが、幸いにも尾張藩の庭園文化を伝える北御庭は残され、その南側に新たに前庭が整備されました。
豪壮な石組みや急峻な地形を表現した北御庭と前庭は、昭和28年(1953)、名勝に指定されました。その後の発掘調査などにより、江戸時代後期の大規模な大名庭園として非常に価値がある遺構が地下に残されていることがわかり、2018年(平成30)に庭園のほぼ全域が名勝として追加指定されました。

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乃木倉庫

[解説]

乃木倉庫は、隅石積の小さな倉庫ですが、市内に現存する最古の煉瓦づくりと言われています。明治維新後、名古屋城は政府に接収され陸軍が配備されましたが、乃木希典まれすけが在籍していた明治初期に建てたと伝えらえています。

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